大阪府公立高校入試合格への道

現役学習塾長が大阪府公立高校入試や教育について、いろいろ発信します。

あるもの誇り

自分の持っていないものを欲しがる、「ないものねだり」という言葉がありますね。

「隣の芝生は青い」とか「水中に火を求む」なんて言い方も。

老若男女問わず、ないものねだりをするものです。

子ども達の中には、

「あの子みたいに頭が良ければなぁ」とか「あいつみたいにイケメンだったらなぁ」と思う子もいるはずです。

また、大人も同様に、

「あいつくらい年収が良ければなぁ」とか「あの子みたいな生活が出来たらなぁ」なんて。


しかし、私は、ないものをねだる考え方は損しかなく、全くの無駄だと考えています。
ないものがないと嘆くのではなく、今あるものを大切に思うこと。それが人生を豊かに過ごすうえでとても重要なんですよね。

確かに、学力的にも、容姿的にも、そして経済的にも上下というものは存在し、下の者は上の者を妬んでしまう気持ちはわかります。

しかし、そういう思いに駆られたところで、何かが好転するわけではないのです。
自分に不足している部分や他社と比べ劣っている部分を認識することは、悪いことではないと思いますが、そこに縛られてしまうことは豊かさに繋がらないと感じるのです。

反応のコントロールにも関係

心理学の本やマネジメント、自己啓発本によく書かれていることですが、
何かの出来事に対する自分の反応をコントロールできると、日常を過ごしやすくなります。

「なにおう!俺は直情的に、情熱的に、自分に素直に生きるんだ!」という考えを真っ向から否定するつもりはありませんが、それは社会で生きにくくなるだけだと思います。

大脳生理学からすると、人の脳みそには「過去」も「未来」もなく「現在」しかないそうです。嫌な気持ちになっているのは、「過去」の嫌な経験や記憶を引っぱりだして、今、わざわざ再現しているわけです。未来を思うといい気持ちになったり嫌な気持ちになったりするのも、結局は「過去」の関連する感情を引っ張り出して今、経験しているだけなのです。

毎日を気持ちよく生きたいのなら、【未来の自分がどうなっているか決定する】ことをしておいて、その未来に向かってするべきことを、今や過去の感情に振り回されずに行っていくことが重要です。

事実、今までにあった嫌なこと楽しいことも、時間が経つにつれて忘れていきますよね。
過去なんてそんなものです。なかったと思えばなくなりますし、今の自分がそう決めれば、そうなるのです。過去に戻ることはできません。今を過ごし、未来に進むしかないのですから、過去にとらわれるのはアホらしいのです。

未来の自分は決定しているのですから、その自分になるために今を過ごしていきます。

そうすると、日々の生活で多少嫌なことがあったとして耐えられるはずです。
なぜなら、未来の自分は確定しているから。
その自分になるために今があると思えば、わくわくしませんか?

例を挙げましょう。

たとえば、10年後に会社の社長になってお金持ちになっていると決めます。
そこから、9年後の自分、8年後の自分、・・・と逆算していき、今の自分はどんな自分であるべきかよく考えます。
実現可能性の高い低いよりも、逆算した結果、どうなっていなくてはならないかを重要視します。
それを思い描いて、多少大変そうでも自分で納得できたら、あとはその自分になるように努力を続けます。

心の底ではないものを欲しがっているから、その欲望をつつかれて感情的に反応してしまうわけです。

しかし、それでは大事な判断をする時に大損しますよ。

自分にとって何が大切か。落ち着いて考え、準備しておけば、いつだって理性的に行動できるはずです。

今自分が持っているものが大事

ないものねだりなんていうものは、底から一つ一つ積み上げていくような考え方をしている時に起こる発想です。

「今これだけある。そして将来こうなりたい。では、今はこうすべき。こうするしかない」と考えれば、ないものをねだってる暇なんてないはずです。
学力がなければ逆算して、目標の期日までに学力を高める努力をすればいいわけですし、容姿が悪ければゴールがどこにあるか考え、逆算して容姿を磨けばいいわけです。

「頑張っても無理かもしれない」という声も聞こえてきそうですが、頑張っても無理だった「未来」を経験しているわけではないですよね。
あくまで「過去」の経験や知識から無理「そう」という結論を出しているだけであって、無理かどうかは誰もわからないし知らないわけです。

ただ一つ言えるのは、ないものをねだっていても仕方がないということです。

ないものねだりは、自分を自由に動かさないように縛り付ける悪い考えです。

そんなことを願っている力があるなら、理想の自分に近づく努力をした方が生産的なのです。

今あるものを、磨くもよし、育てるもよし、捨てるもよし。現状自分が持ちうるもので勝負戦っていくしかないわけですから、社会人を含む若人諸君は、「ないものねだり」ならぬ「あるもの誇り」をして、まずはその思考を受け入れるところから始めてはいかがでしょうか。