大阪府公立高校入試合格への道

現役学習塾長が大阪府公立高校入試や教育について、いろいろ発信します。

コロナウイルスへの対応に表れる日本の国民性

日本人は建前を大事にする風習があります。

廃れていっている文化もありますが、形だけ取り繕うことに長けています。

和を尊び、本音ではなく体裁を優先する。

そのおかげで暴動などの過激な行動はないにしろ、平和ボケが過ぎたり、行動力のなさが目立ちます。


今回のコロナウイルスの一件でも言われていますし、かのカルロス・ゴーン氏にも指摘されたことですが、決定が遅く行動も遅いため、後手に回ることが多い。


話が逸れましたが、今回、日本人がいかに建前を優先し本質的なことを見ようとしていないかがわかったように思います。

3月28日現在の状況を見る限り、日本は他国に比べ、とびきり認識が甘いわけですが、その理由は、「周りにどのように思われるか」を優先し「何のために行動せねばならないか」を考えていないからに他ならないと考えます。


まず政府は、経済政策として使用方法を限定した金券の発行を考えているようですが、それは本質的ではないように思います。現金をばら撒くことが下品とでも考えているのでしょうか。
それとも、今まさに肉や魚の関係業者のみが逼迫していると認識しているのでしょうか。
はたまた、これを機に、ついでに国産農水産物、畜産物を盛り立てていこうと考えているのでしょうか。

いずれにせよ、政治の劣化を感じざるを得ない判断だと思います。


また、国民においてもそうです。
日頃から会食を行ったり私的に集まったり、外出禁止令が出ている諸国とは全く異なった生活をしているわけですが、これも本質的なことを蔑ろにしている結果だと思います。

少し自粛したのかもしれませんね。
しかし、自粛に飽きたのかもしれません。
そろそろコロナの騒動もおさまると思っているのかもしれません。

どうしてそのような理解になるのかわかりませんが、国全体がそのような認識を持っていそうな雰囲気があります。


「しばらく我慢したから少しくらいいいじゃないか」と。
そう思っている日本人は多そうです。


一体、今なにが重要なのでしょうか。
花見をすること?はたまた、自粛すること?

たしかに、どれもこれも、快適な生活を送る上で欠かせないことかもしれません。

しかし、今世紀最大の、地球規模で騒動となっている感染症に対しての行動は、自らの快適な生活を求めることよりも世界の人々のことを考えて行うべきであるはずです。

経済活動を止めてはならないから自粛をしないという選択も、一つの選択かもしれません。
しかし、それは熟慮を重ねた結果としても許されるかどうかというレベルなわけで、
よく考えもしない私利私欲の身勝手な行動は絶対に許されないと思います。


自粛の要請などと甘いことを言ってないで、さっさと強制できるステージに移行すべきです。


身勝手な日本人の行動について思うことがあったので書き留めさせてもらいました。