偏差値50前後の高校に進学したその先にあるもの
昨今、色々な生き方があるように見えるが、やはり情報をうまく処理したり集約したりする能力は高い方がいい。
これは一概に、小難しい内容ばかりの話ではない。
若い世代は、圧倒的にSNSの使い方が上手いと感じる。
たとえば、世間で話題になっている(いわゆるバズっている)ことを探す際に、検索エンジンで検索する方法よりも、TwitterやInstagramでキーワード検索をした方がたくさんの最新情報が得られたりする。
子どもにも言えることだが、仕組みを理解してあれやこれや使ってみて、最終的に使いこなす領域に辿り着くのは若い世代の方が早い。
かといって、その能力だけに頼ると行き詰まりを見せることがある。
世の中の情報はカジュアルなものもあれば、形式ばってかしこまった内容もあったりする。
そのような情報を「難しくてよくわからないもの」と避けてばかりもいられない場面は多くなるはずだ。
少々難しい内容でも、かじりついて理解しようとしなければ、自分が損をしてしまうことはたくさんあるのだ。
中学や高校の勉強で、内容が難しくその場しのぎで進んでいくような生徒をみることは少なくない。
その内容自体が直接将来に役立つかどうかはわからないが、少なくとも、難解なことを理解しようと努める経験は、長い人生においてとても大きな価値を持つだろう。
その取り組みが出来る子と出来ない子の基準は、概ね偏差値50強あたりのように感じる。
高校の先生も、子ども達の学力レベルに応じて与える負荷を変えている。
高負荷をかけることが必ず正しいとは思わないが、難しい内容を理解することを避けている子ども達のその先の人生を思うと、心配してしまうのは確かだ。
偏差値の高い学校に子どもを進学させる一つの理由として、思考させてくれるという要素があるのは、学歴以上の重要なのではないかと思う。