詩や作文の苦手意識を直す気がない件
こと科目としての国語においては、その目的の一つに現代で扱われる文章の意味を理解する力を養うということがある。
その力がなくては状況や制度理解もままならない大人が量産されるということで、非常に重要なことである。
かたや、あまり重要視されないのが作文力や、詩や文学的文章の理解力の強化である。
確かに、政治および経済情勢や契約書に情緒や趣など目に見えて現れないが、教育界がこれらの力を軽んじ、身につけないまま大人になってもいいと思っているのは大きな間違いである。
日本人は意見をする力が極端に弱いと評価される。
その理由は、ストーリーを持った話し方や、文の組み立てに不慣れだからであろう。
「なんとなく」で伝わる文化の良さを強調しがちだが、はっきりと自身の意見を伝える術が拙く、曖昧な状態で流そうとする日本人が増えるのはグローバル化が進む世界においては良いことではないだろう。
自分の意見をきちんと論理的、および情緒に触れながらでも説得力を持たせて伝えることができなければならない。
英語でも、スピーキングやライティングが弱い原因は、そもそも日本教育がインプット志向になっていることに他ならない。